2005.8.20.  雨降ってきた@0時5分   カワセミ王国 ポイント:D0086point)


命がけの旅路

 東京から北海道へ向かうカーフェリーが三陸沖にさしかかったころ、一人旅の手持ちぶさたにデッキに出てみた。空はどんよりと曇り、あたりは暗く沈んでいる。潮風にあおられて木の葉がころころ転がってきて目の前でとまった。よく見ると、木の葉だと思ったのはシマセンニュウだった。疲れ切っているらしく、1メートルほどに近づいても逃げようとはしない。北海道から津軽海峡を渡るときに方向を間違えたのだろう。

 なにか食べるものを、と思い船内を探してみたが、小さなクモと干からびたバッタしか見つからない。風上からクモを転がしてやるとすぐ拾って食べた。バッタは口に含んで塩分を抜いてから転がしてやると、これもおいしそうに食べた。しかし、その憔悴しきったようすからは、もう一度飛び立って陸に到着するとはとても思えない。このまま船にいれば、振り出しに戻るとはいえ陸に着くことはできる。驚かして海に追いやってしまわないよう、そっと船内に戻った。

 シマセンニュウの疲れた姿は、はるか昔、北アルプスの餓鬼岳に登ったときの記憶をよみがえらせた。ライチョウに会いたい、しかし人には会いたくないという理由で餓鬼岳を選んだ。力もなく、山登りなどはじめてのわたしには無謀なコースどりだった。疲れ切ったわたしは、すれ違う登山者に米や缶詰をひきとってもらった。食べることをひかえても荷物を軽くしたかったのだ。それでも、体力の限界に近づくと、自分の腕でさえ疎ましく切り捨てたいとなんど思ったことか。

 また別の記憶もよみがえった。小笠原にいったときのことだ。ここはガラパゴスにたとえられるように、島固有の珍しい鳥や動物が多い。メグロ、カツオドリ、イルカ、クジラなど間近で見て感激ではあった。しかし、なによりもうれしかったのはノビタキが何羽も元気に飛び回っていたことである。1000キロも離れた海のまっただ中に見慣れた小鳥がいる、それだけでわくわくした。元気で帰ってこいよ、心からそう思ったものである。

 いま、確たる目的のないままキビタキやオオルリといった小鳥たちに、環境省の標識調査の足環が付けられている。渡りに影響のある重さではないというけれど、これらの小鳥は数百キロ、ときには1000キロを超える海を渡るのである。天候や体調によっては身ひとつでも無事ではすまないのだ。体力のない小鳥に、無差別に、しかも無期限に足環を付け続けるのは負担が大きすぎるのではないか、と思うのだが。

 標識調査がはじまって三十数年、その間に数百万羽の鳥たちに足環が付けられ続けている。日本に渡ってくる小鳥の苦しみにたいして、得られたものはゼロにひとしい。

 宍道湖で見たオオジュリンは付けられたばかりの足環を嫌がって、くちばしで外そうとむなしい努力を続けていた。20分経っても30分経っても止めようとはしなかった。四国では足環を付けられたヒタキの仲間が、次の年には足環とともに片足を失って帰ってくるという事件もあった。

 わたしにとって、小さな翼で大海原を越える小鳥たちは自由の象徴である。その小鳥たちが足かせをはめられ、痛ましい姿でいるのを見たくないと思うのは、感傷的にすぎるだろうか。

 

SING 和田剛一野鳥同棲記 p.72-73を引用


このテキストを読んでアナタは、バンディングについてどう思われましたか?ワタシはこれを読んでバンディングに対して大きな疑問を持つようになりました。

どうやら和田剛一さんご本人もこのページをご覧頂いてるようなので、事後承諾で掲載しちゃいます。心を込めてキーボード打ったのに免じてどうかお許しを。m(__)m

 

和田剛一カメラマンのwebサイト http://www.asahi-net.or.jp/~yi2y-wd/  ---ちょっとお疲れのようですが、頑張って下さいね。

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